もしも
仕事だけだったら?
子育てだけだったら?
仕事をしながらの育児は良くも悪くも世間を知れる。
思い返すと、仕事と育児の両立は私を人間的にかなり成長させてくれた。
職場の上司に「子どもが熱を出してしまったので早退させてもらいたいのですが…」と言ったときの上司の対応。
人によっては「大丈夫だよ」と言ってくれるけれど、つい裏を読んでしまう。
でも面と向かって「困るよ」と言われるのももちろん辛い。
病児保育を利用した時。
朝イチで病院へ行って、病児保育の書類をお医者さんに書いてもらって、預けて、出勤。
その事情を知った人は「そこまでして働くの?」となかば呆れたり「大変だね」とねぎらってくれたり。
常に葛藤の繰り返し。
ただでさえ葛藤の多い子育て。
そこに仕事が加わるとさらにそれは倍増する。
対処法は、対症療法。そして未来に希望を持つこと。
考えることに疲れて、考えるのをやめ、とりあえず目の前のことをこなす。
精神的にも肉体的にも余裕がなくなってくる。
でも、いつかは終わる。
子どもが泣き止まない時、言うことを聞かない時、私は10年先のことを考えていた。
今から10年経てば、今の悩みはなくなると。
そして現在うちの子どもは15歳、12歳、一番下の子は今年10歳になる。
10年前の悩みは?保育園を嫌がっていた、寝なかった、卒乳、突然の熱、おねしょ、トイレトレーニング…
子どもは成長する、心配しすぎない。
心の中で自分に言い聞かせていた日を思い出す。
わかっていても「悩むことが母親の仕事」のような気がしていた。
悩んでいることが前提の保育園の先生からの問いかけ。
「困っていることをみんなで話し合いましょう」という座談会。
そこで私が「子どもはいずれ成長するから、あまり心配してません」と言うのと、先生が「子どもはいずれ成長するから、あまり心配しなくていいのよ」と言うのでは響きが違う気がした。
そう思っていてもそう発言したら「親なんだからそんな楽天的に捉えちゃだめでしょう」という圧を受けるのではないかと。
楽天的に捉えることを許さない雰囲気を感じるし、実際親戚からもそのようなことを言われた。
「私以上に母親であるあなたが心配しなくちゃだめでしょう」
幼少期「子育て」だけの生活だったら、そういった圧を受け、型を強要され、息苦しい日々を送っていたかもしれない。
振り返ると職場では「母」から「私」に戻れる貴重な時間でもあった。
職場でゆっくりお昼ごはんを食べられたこと。
「ママ友」ではない人たちと会話すること。
確かに大変な部分は増えるけれど「私」と「母」を両立させるのに「仕事」と「子育て」を両立することは、非常に意味のあるものだった。